T.新疆の民族
新疆には、民族の坩堝と言えるほど、様々な特徴をもつ13の民族が居住しています。それらの中で主体となっているのは、トルコ系の言語を用い、イスラーム教を信仰する民族です。(執筆者:新免康)
新疆に居住する諸民族を、以下のような三つの視点から区分してみます。
- 生活様式による区分:定住民と遊牧民
*天山山脈の南方にあるタクラマカン砂漠の周縁に点々と連なるオアシス地域に居住して農耕や都市生活を営む定住民(農耕民・都市民):ウイグル、漢族など。
*天山山脈、その北側に広がる草原地帯およびアルタイ山脈で牧畜を営む遊牧民:カザフ、クルグズ、モンゴルなど。
現在は、カザフ人などもとは遊牧民族であっても、都市化を通して、ウルムチという大都市に居住する人々もかなりの規模で存在します。また、遊牧民は通常、一年の間に夏営地と冬営地の間を一往復するのですが、その夏営地と冬営地との間の移動距離が少ない遊牧民もおりますし、冬営地に家を建てて冬季は定住的な生活を送る遊牧民もいます。「近代化」の影響もあり、従来まったく異なる生業形態を数千年にわたって続けてきた定住民族と遊牧民族は、近年、その生活様式を接近させつつあると言ってよいでしょう。
- 言語面における区分:トルコ系民族とそれ以外の民族
「トルコ」というと、小アジアに位置するトルコ共和国を思い浮かべますが、トルコ系言語を使用する人々は、東は中国やモンゴル、西はヨーロッパまで、ユーラシア大陸の広い範囲にわたって分布しています。
*トルコ系の言語を用いる民族:ウイグル、カザフ、クルグズ。新疆の主要な民族を構成。
*トルコ系以外の民族:漢族(漢語)、回族(漢語)、モンゴル(モンゴル語)、タジク(イラン系タジク語)、オロス族(ロシア語)など。
- 宗教面における区分:イスラーム教徒(「ムスリム」と言います)とそれ以外
*イスラーム教徒の民族:前掲トルコ系諸民族、タジク、回族。
*非イスラーム教徒の民族:漢族、モンゴルなど。
ここでイスラーム教徒の民族という場合、それは単に個人的にイスラーム教を信仰している人が多数いる、ということを意味するものではありません。その民族がほぼ全民族的にイスラーム教を信仰するとともに、その社会・文化・精神世界などがイスラームによって深く規定されていることをも意味しています。
| 民族 |
言語 |
宗教 |
元来の生業形態 |
人口(1999年) |
人口(2002年) |
| ウイグル |
トルコ系ウイグル語 |
イスラム |
農業・商業 |
8,250,236 |
8,692,298 |
| 漢族 |
漢語 |
道教・仏教 |
|
6,871,528 |
7,595,650 |
| カザフ |
トルコ系カザフ語 |
イスラム |
遊牧 |
1,304,518 |
1,333,455 |
| クルグズ |
ルコ系クルグズ語 |
イスラム |
遊牧 |
166,325 |
171,316 |
| 回族 |
漢語 |
イスラム |
農業・商業 |
792,698 |
854,576 |
| タジク |
イラン系タジク語 |
イスラム |
遊牧・農業 |
40,099 |
40,716 |
| オロス |
スラブ系ロシア語 |
ロシア正教 |
農業・商業 |
9,464 |
11,193 |
| モンゴル |
モンゴル語 |
仏教・道教 |
遊牧 |
161,251 |
163,804 |
*2002年の人口統計に関する詳しいデータはこちらをご参照下さい。
新疆は、主体となる諸民族の言語・文化的特徴、地理的特徴から言うと、旧ソ連領中央アジアと多くの共通点を有しています。現在「中央アジア」と言うと旧ソ連領中央アジア諸国のことを指すことが多いようですが、新疆も広義での「中央アジア」の一部を構成していると言ってよいでしょう。その重要な特徴の一つとして、前述したように、トルコ系ムスリムの民族を主体とする地域であるということが挙げられます。これは、一つには言語・文化面において、インド・ヨーロッパ系の人々が住んでいたオアシス地域が、9〜10世紀を境とするいわゆる「トルコ化」によって、トルコ系言語を用いる人々を主要な居住者とする地域になっていった、という歴史的背景をもっています。
また、宗教面においては、かつて仏教やマニ教など様々な宗教が信仰されていた当地域は、西アジアで生まれた一神教であるイスラーム教が西方から伝播されるにおよび、次第にムスリム(イスラーム教徒)を中心とする空間に変貌していきました(このプロセスを「イスラーム化」と言います)。この過程が最も遅れたと言われる東方のトゥルファンにおいても、15世紀頃には「イスラーム化」が達成されたと思われます。
旧ソ連領中央アジアの独立諸国の主体民族のうち、ウズベク、カザフ、クルグズ、トゥルクメンはトルコ系ムスリムの民族です。カザフ、クルグズに関しては、中国の「少数民族」として規定されていますが、旧ソ連領においては独立国を形成する国家の主体民族である、という点も看過できません。このことは、現在の中国・新疆ウイグル自治区を含めた地域としての中央アジアが、一体としてトルコ系民族の居住地である一方、実際的な民族分布と必ずしも一致しない形で、中国−旧ソ連の国境によって分かたれているという事情によっています。
なお、現在の人口規模でウイグルに次ぐ位置を占めている漢族は、中華人民共和国成立以後に、中国の「内地」からの大量移住によって増加したものです。
1.ウイグル
ウイグル(維吾爾)は新疆ウイグル自治区の多数民族です。
- 人口
1990年における中国全土の人口は7,207,024人。1999年の新疆ウイグル自治区における人口は8,250,236人。カザフスタンの約30万人を始め、旧ソ連領にも相当人口を抱えています。これは、19世紀後半以降、特定の政治的条件に応じて中国領からロシア領・ソ連領にかなりの規模でウイグルが移住したことに基づいています。
- ウイグルの歴史と民族区分のあり方
歴史的に見ると、ウイグルは、20世紀前半期になってから中国領内の中央アジアのオアシス地域に居住するトルコ系ムスリム住民が、古代のウイグルの名称に因んで、「ウイグル」という呼称の下に一つの民族と見なされたものです。
古代における遊牧のウイグル集団は、9世紀に解体・分散した後、一部がトゥルファン盆地を中心とするタクラマカン砂漠周縁オアシス地域の東部に移住し、定着していきました。このような動向が、前述した中央アジア・オアシス地域の「トルコ化」につながったと言えます。そういう点から言えば、現在のウイグルが彼らの遠い子孫である、あるいは現在のウイグルの先祖を構成する集団の一部を遊牧ウイグルが構成した、と言ってもあながち間違いとは言えないでしょう。また、前述した「イスラーム化」の完了後、遅くても16〜17世紀には、トルコ系言語を話し、イスラーム教を信仰する、言語・文化・宗教・社会などのあり方においてほぼ共通する特徴を有する人々の社会が、現在のウイグルに直接つながるような形で、東はコムル(哈密)から西はカシュガルに至るまでのオアシス地域において成立していたと推定されるのです。
実は、16〜19世紀に「ウイグル」という用語が彼らの自称として使用された形跡はありません。現在のウイグルに相当する範囲の集団を一つの民族と考えて「我々」と見なすような意識が、同時期のオアシス住民にあったかどうかも定かではありません。しかし、「ウイグル」という民族区分と呼称は、1930年代に当時の中華民国の新疆省政府によって導入され、その後中華人民共和国の民族政策の中でそのまま採用・展開されることを通じて、次第に定着していきました。現在、このような枠組みに沿った民族意識が固定化し、内面化していることは間違いないと言えるでしょう。
- 産業
ウイグルは、タクラマカン砂漠の周縁に点在するオアシス地域に居住しており、主にオアシスで灌漑農業に従事してきました。現在でも農村人口が多数を占めています。農産物としては、小麦・米などの穀物を始めとして、メロン、スイカ、無花果、石榴、杏、葡萄などの果実が生産されています。
たとえばカシュガル近郊農村部の農家にお邪魔すれば、これらの果実がいかに豊富かが実感できると思います。果物はとくに商品作物としてバザールで取引されています。他方、都市部では手工業や商売を営む人々もいます。とくにカシュガルには、通称「職人街」と呼ばれる、手工業者の集中居住地区が現在でも残存しており、金物、道具、「ドッパ」と呼ばれる帽子、「サンドゥク」という箱、民族楽器などを作る伝統的な職人たちの技を見ることができます。この「職人街」は、その迷路のようなイスラーム都市的街並みとともに、カシュガル市の独特な都市景観を形作っています。最近は、バザール・「職人街」は観光物件としても機能しているようです。
なお、「改革・開放」政策実施された1980年代以後、ウイグルの集中居住地域では、バザールを軸とするウイグル独自の経済活動が活性化している印象を受けます。
- 言語・文化
現在使用されているのはトルコ系言語の現代ウイグル語です。いわゆる膠着語に属し、構文が日本語に比較的近いと言えます。アラビア文字に多少の変更を加えて表記に使用しています。ウイグルは古くより、トルコ系言語に基づく特有の文化を育んできました。とくに、20世紀以前の中央アジア世界で書写語として通用したチャガタイ語(アラビア文字表記)により、多数の文学作品が書かれました。いわゆるカーシュガル・ホージャ家を始めとするイスラーム聖者の伝説や、清朝治下の19世紀後半に発生した反乱における事件に関する記録などは、当時のウイグルの社会・文化・精神世界の様相を知る上で、第一級の材料です。
中華人民共和国期に入ると、民族政策の中でウイグルの民族言語として、現代ウイグル語が次第に確立されてきました。現在でもトルコ系言語のウイグル語は、家庭内の日常生活を始めとしてウイグル社会内部において、また文化面において支配的な地位を維持しています。アブドゥレヒム・オトクル、ズヌン・カーディルなど、現代ウイグル語ですぐれた文学作品を発表した作家は、ウイグル社会において高い評価を得てきました。ただし、政治的な場面や都市における社会生活の面では、漢語の使用が必要とされる状況にあります。これは、「ウイグル自治区」である新疆においても漢族が政治的に優位に立っていること、中華人民共和国成立後に政策的な移住によって新疆における漢族人口が爆発的に増加したこと、などの事情によるところが大きいのです。
また、1980年代以降、改革・開放政策の実施にともなう漢族主導の経済発展の中で、科学技術の受容や有利な就職への必要性から漢語の習得・使用がウイグル人の間で重視されつつあるのが現状です。音楽・芸能面では、「12ムカム」と呼ばれる歌舞をともなった民俗音楽が、「民族音楽」として近年強調されています。
- 宗教
ウイグルは、全民族的にスンニー派のイスラームを信仰しています。中華人民共和国における世俗的な教育の実施など、宗教に対する否定的な政策にもかかわらず、とくに南部新疆におけるウイグル集中居住地区においてイスラームは日常生活の重要部分であり、彼らの精神世界の主体を構成していると行っても過言ではありません。言うまでもなく、日々のモスクへの礼拝が励行され、イスラームの2大祭りも盛大に実施されています。
ウイグル社会においては、中華人民共和国が成立する直後まで、イスラーム法が部分的に機能していたと考えられます。しかし、「解放」後の共産党体制下の政策によって、それが完全に効力を失うとともに、宗教施設に属していた寄進地が没収されるなど、社会の「世俗化」が強行されました。さらに、文化大革命時期には社会的な宗教活動自体が困難な境遇に置かれたことさえあります。しかし、1980年代、民族・宗教政策の変更にともなって、ウイグルの間でイスラームは顕著な復興をとげました。これに対し、政府は、イスラームという宗教を媒介としてムスリムの「少数民族」が漢族を中心とする中国国家からの分離を目指すような動向(=民族分裂主義)に対して一定の警戒を示しており、イスラームに対する管理を強化していると言えるでしょう。
ウイグルの信仰体系の構成要素は、正統イスラーム信仰のみに限定される訳ではありません。イスラームと連関する形態において聖者廟(マザール)に対する巡礼・崇拝行為が発達しています。また、南部新疆の農村部の一部には、官憲による取り締まりの対象となっているものの、「ダハン」や「バフシ」といったような呪術師による宗教儀礼が残存していることも否定できません。このような儀礼は、おそらくはイスラーム化以前のシャーマニックな信仰の痕跡をとどめていると考えられています。
2.カザフ
新疆のカザフ(哈薩克)は、中国では、主に新疆の伊犁哈薩克自治州、木壘哈薩克自治県、巴里坤哈薩克自治県および昌吉回族自治州各県などに分布しており、中国のカザフのうちのかなりの部分が新疆に居住しています。新疆の外では、青海省・甘粛省にも一部住んでいます。1999年の新疆ウイグル自治区居住カザフ人は1,30,4518人です。1990年の全国人口調査によれば、中国全土のカザフ人人口は1,110,758人となっています。前述のように、カザフは新疆に隣接する旧ソ連領カザフスタン共和国の主体民族であり、国家人口16,824,825人(1999年7月)のうちの46%を占めています。
カザフは、一般に、15世紀に遊牧ウズベク集団から分離して形成された集団と言われています。当初、現在のカザフスタン東南部に位置するセミレチエ地域に居住していましたが、その後、カザフ草原全域に遊牧地域を拡大させました。やがて自らの国家形成を図り、カザフ・ハン国を創設するに至ります。しかし、ロシア帝国が東方に大々的に影響力の拡大を図ると、カザフは19世紀前半期にはロシア帝国の管理下に入りました。現在の中国領にカザフが居住している歴史的背景としては、清朝の中央アジア進出が挙げられます。18世紀のなかば、清朝がモンゴル系の遊牧勢力ジュンガルを平定し、天山山脈北側の地域を征服した後、一部のカザフは清朝に帰順しました。これにより、一部のカザフ人が西方のカザフ草原より清朝治下の当地域に移動し、浸透していったのです。カザフ人の居住地域はロシアと中国の国家領域にまたがる形になりましたが、それ以後も、両国家の領土間でカザフの国境を越えた移動が行われていたと考えられます。
また、歴史上特定の条件下で、国境をまたぐ移住が行われてきました。たとえば、スターリン時代のソ連で集団化が強制された時期、中華民国領への移動が見られました。また、中華人民共和国成立後には、1962年のいわゆるイリ事件を契機として数万人規模のカザフ人が、中国領からソ連領に集団越境したと言われています。これにより中ソ国境が閉鎖され、往来が事実上途絶しましたが、1980年代に入ってから、中国の政策変更にともなって国境路の再開や鉄道の敷設などが行われ、現在はカザフスタン領との間で活発な交流があります。
前述のようにカザフは遊牧民族として知られています。実際、新疆在住のカザフは、現在でもかなりの部分が天山山脈およびアルタイ山脈の一帯で遊牧生活を営んでいます。新疆の自治区都ウルムチなどの都市には都市化されたカザフ人も見られますが、人口比率から言えば少数であると言えます。都市のカザフ人は漢語とのバイリンガルであることが多いですが、カザフ全般に関して言えば基本的に民族言語であるトルコ系のカザフ語を使っています。文字は、カザフスタンではキリル文字を基礎とするものであるのに対し、中国領ではアラビア文字を変形した字母が用いられています。宗教はスンニー派のイスラームです。ちなみに、都市在住のカザフであっても、旧来の出自である「部族」に対する帰属意識が部分的に残存しており、興味深いものがあります。
3.クルグズ
新疆のクルグズ(柯爾克孜)は、主に西北部に位置するクズルス・クルグズ(克孜勒蘇柯爾克孜)自治州に集中的に居住しています。1999年の新疆ウイグル自治区における人口は166,325人です。中国のクルグズの大部分が新疆に分布しています。1990年の全国人口調査では、中国領内のクルグズは143,537人となっています。新疆在住のクルグズの生業に関しては、クズルス・クルグズ自治州に居住するクルグズの主体は現在でも山岳地帯で遊牧生活を営んでおりますが、部分的に農業も兼業しています。宗教は、大部分がスンニー派のイスラーム教を信仰しています。言語はトルコ系のクルグズ語で、文字はアラビア文字を少し改変した字母を用いています。文化面では、1980年代以後、少数民族に対する政策が変更される中で、口頭伝承の伝統的な民族叙事詩である『マナス』が重視されて研究が進められ、漢語訳も出版されています。
同地区のクルグズは、歴史上、社会・経済面においてカシュガルなどオアシス地域に居住するウイグルと密接な関係を結んできました。たとえば、19世紀後半期の状況に関する研究に基づけば、オアシス経済ネットワークの結節点と言える都市のバザール(市場)にクルグズが関与していた形跡があります。また、政治的局面に関しても同様のことが指摘できます。たとえば、1933年のカシュガル地域におけるムスリムの反乱において、クルグズとウイグルは共同してカシュガル市を占領しました。トルコ系民族による独立国家樹立の企てである「東トルキスタン共和国」政府の成立に際しても、共同で運動を推進し、体制を支えていたことがわかっています。さらに、1944年に発生したトルコ系ムスリムの大規模な反乱で、イリに「東トルキスタン共和国」政府を樹立させた、いわゆる「三区革命」において、その主要な指導者のうちの一人であるイスハーク・ベグはクルグズ出身でした。すなわち、新疆の近現代史の上で、ウイグルを主体とする反乱や運動との関わりにおいて、クルグズも一定の役割を果たしたと言えます。
4.タジク
タジク(塔吉克)は、タジキスタン、ウズベキスタン、さらにアフガニスタンなどに分布していますが、中国領のタジクは新疆ウイグル自治区の塔什庫爾干(タシュクルガン)塔吉克自治県に居住する人々にほぼ限定されます。1999年の新疆ウイグル自治区における人口は40,099人です。1990年の全国人口調査では33,223人の人口が記録されております。タシュクルガン地区は、歴史上「サリコル」と呼称される地区に該当します。カシュガル市の西方、パミール高原の東部に位置しています。中心都市のタシュクルガンは、カシュガルからパミール高原を経てパキスタンへと抜ける国境の交通路である、いわゆる「中巴公路」の中途に位置しています。18世紀半ばの清朝による新疆地域征服の際に、この地区も清朝に帰属し、「色勒庫爾(サリコル)回庄」と呼称されていました。塔什庫爾干塔吉克自治県の成立は1954年のことです。
新疆に在住するタジクは、イラン系ながらその言語的特徴がタジキスタンのタジクとはいささか異なると言われています。そもそも中国において、サリコル地方のイラン系言語を使用する住民が「タジク族」として明確に区分されるようになったのは、中華人民共和国の民族政策の中においてであると言うことができます。新疆のタジクの言語は大きく分けると、サリコル方言とワハン方言からなっており、2万人以上が使用する前者がタシュクルガン地区における主要言語です。現在の中国のタジクには、公式的に文字が規定されていません。宗教信仰面においては、トルコ系民族がイスラーム教スンニ派ーであるのと対照的に、ムスリムではありますがシーア派の一派であるイスマーイール派に属しています。生業面についてですが、現在のタジクは牧畜と農業に従事しています。牧畜は、パミール山中で主に綿羊を飼育します。農業は、標高の高い寒冷地ゆえ、牧地よりは標高の低い谷間の耕作地で裸麦、春小麦、エンドウなどを栽培しています。牧畜と農業を兼業する場合もあります。
5.オロス族
オロス(俄羅斯)族は、新疆のウルムチ、イリ、タルバガタイ、昌吉、奇台などに主に居住しており、ハルピンや長春、瀋陽などにも分布しています。1999年の新疆におけるオロス族人口は、9,464人です。1990年の全国人口調査では、13,500人の人口があります。オロス族は、中国55の少数民族のうちの一つとされていますが、ロシアで国家を形作っているロシア人にほかなりません。
ロシア帝国の東方への領土拡張にともない、19世紀に中央アジアがその統治下に組み込まれると、ロシア人が大量に植民しました。このような状況下において、ロシア人がロシア領と境界を接する新疆に移動して、定着することになったのです。とくに、1851年にロシアと清朝との間に「イリ・タルバガタイ通商章程」が締結されると、ロシア人商人が清朝の領内に進出を図りました。1871年に締結されたペテルブルグ条約の規定に応じてウルムチ等にロシア領事館が設置されると、ロシア人がさらに浸透していきました。彼らは、1917年にロシア革命が発生した後、新疆に残留しました。また、1917年のロシア革命の際には、いわゆる白系ロシア人が新疆に集団移住してきました。このようにして、1920年代までには、相当数のロシア人が新疆に生存するという状況が出現したのです。そして、1933年の省政府における政変の一翼を担うなど、新疆近代史の上でも一定の役割を演じることになりました。
これらのロシア人たちは、中華人民共和国成立後、民族政策の中で「オロス族」として中国の「少数民族」の一つに位置づけられました。新疆在住のオロス族に関して言えば、言語・文化面において、周囲のウイグルの言語、また国家の主体民族である漢族の言語から、強い影響を受けています。宗教面では、現在でも基本的にロシア正教を信仰しています。
6.漢族
現在、漢族は新疆の各地区に居住しています。1999年の人口は6,871,528人で、ウイグル人に次ぐ第2位の人口を擁しています。中華人民共和国成立直後の1950年に30万人余りに過ぎなかった漢族が現在のような人口規模になったのは、中国政府の政策によって「内地」の諸省から大量の移住が行われたことによっています。
18世紀なかばの清朝による新疆地域の征服後、各主要オアシスに清朝の官吏と軍隊が征服された地域を保持するために駐在しました。しかし、それらの主体は基本的に満洲人であったと言えます。たしかに漢族の商人たちがこの「新しい領域」(新疆)に入ってウイグル人商人やコーカンド商人たちとの交易に従事しましたが、その居住地は隔離されていました。なぜなら、清朝政府は、もともとあったムスリム住民たちの都市とは別に、満洲人の官吏・軍隊や漢人が専用に居住する要塞都市を建設し、両者の居住区を完全に分離したからである。新たに建設された都市は、漢城・新城、yengi
shahrなどと呼ばれました。また、漢人の農業植民はわずかであったと言えます。
事態がやや変化するのは、1860・70年代の大規模なムスリム反乱を鎮圧して清朝が新疆に対する統治を回復し、1884年に新疆省を設置して以後のことです。まず、それまでは満洲人中心であった官吏・軍隊が、基本的に漢族に置き換えられました。湖南省出身者が優越していたと言われます。また、天山山脈より北側の北部新疆には、政府の「殖民実辺策」によって、内地より漢族の農業移民が行われました。しかし、ウイグル人が集中居住する南部新疆に移住した漢族は少なかったと言われています。
中華人民共和国期に入ると、劇的な変化がもたらされました。政策を背景として、大量の漢族が流入してきたのです。その尖兵としての役割を果たしたのが、新疆生産建設兵団でした。漢族の新疆に対する本格的な移住の受け皿となり、農耕地の開発に従事しました。生産建設兵団は、現在でもほぼ漢族によって占められており、新疆経済において占める地位が高いことも、研究により明らかにされています。
新疆における漢族の分布には、いくつかの特徴的な傾向があります。一つは、天山山脈の北部と南部を比べると、北部(北疆)の方に比重が偏っていることです。中華人民共和国成立後に新しく形成され、ほとんど漢族のみを居住民とする新興工業都市、石河子市などは好例と言えます。もう一つは、とくに南部新疆において顕著なことですが、都市部に集中していることです。たとえば、ホタン地区の漢族47,420人のうち、26,220人、すなわち55.3%がホタン市に居住しています。換言すれば、歴史上ウイグル人が主に居住してきた南部新疆オアシスの農村地域の内部に移住した漢族は、非常に数少ないということです。漢族の新疆における居住状況に見られるこの二つの傾向性を体現する存在が、自治区都のウルムチでしょう。1999年の統計では、新疆全体の漢族人口のうち、約17%がウルムチに集中分布していることになります。
1980年代になり、「改革・開放」政策の実施とそれにともなう経済発展を背景として、内地における流動人口が辺境部に流入するという状況が生じました。いわゆる「盲流」という現象です。年毎に出版される統計年鑑等に掲載された漢族の人口数字は、登録された住民の数を示しており、いささか信頼性が薄いと言われており、実際に新疆に存在する漢族は統計数字よりもかなり多いと考えられます。
このように、同じ新疆在住漢族と言っても、新疆に移住してきた時代にいくらかの多様性があり、それに応じて新疆在住漢族と言っても均質という訳ではありません。
第一に、時期によって出身とする地域に多少の違いが見られます。清朝時代には、甘粛省から移住した漢族が多かったと言われます。大規模なムスリム反乱を清朝が鎮圧した後、1884年の新疆省設立にともなって官吏となった人々は、前述のように、反乱鎮圧の主体となった湖南省出身者によって占められました。また、建省後の経済活動は山東省出身の商人たちが牛耳っていたようです。これに対し、中華人民共和国成立後、内地からの移住の受け皿となった生産建設兵団においては、上海など沿岸地域出身者が優越していました。80年代以降、とくに90年あたりの流動人口においては、四川省出身者が高い比率を占めていると言われますが、その数や出身別について正確なデータを得ることは困難です。
第二に、移住した経緯や居住環境によって、現地への「同化」の程度が異なります。たとえば、ウイグル人集中居住の農村部に農民として移住した漢族の場合、言語的にも、また住居などのあり方においても、周囲のウイグル人に接近した特徴をもっています。これに対し、北新疆の漢族中心の都市に居住する人々は、ウルムチを含め、まずもって漢語しか使用しません。
第三に、彼らの意識、とくに新疆という地域に対する意識に、移住してきた時代や世代によって一定の違いがあります。昔からの漢族の中には、ウイグル人などの先住民族も含めて我々「新疆人」というある種の郷土意識をもつ人もいますし、いわゆる「少数民族」に特有の習慣・信仰に対する知識や、その民族間の特殊な感情に対する一定の理解なども見られます。逆に、新疆在住漢族の中にも、そういった問題にまったく無頓着な人々が見られることも事実なのです。近年移住してきた人々の間で、そういった傾向が強いという指摘もあります。
*新疆の民族全般について
- 『世界民族辞典』(弘文堂、2000年)の各項目
- 『しにか』Vol.11, No.1, 特集〈中国少数民族百科〉の各項目
*ウイグル
- 『アジア遊学』1号、特集〈越境する新疆・ウイグル〉、勉誠出版、1999年。
- Justin Jon Rudelson, Oasis identities: Uyghur nationalism along China's Silk Road, Columbia University Press, 1997.
*カザフ
- Linda Benson and Ingvar Svanberg, China's last Nomads: the history and culture of China's Kazaks, Armonk, N.Y.: M.E. Sharpe, 1998.
- 姜崇侖主編『哈薩克族歴史与文化』、新疆人民出版社、1998年。
*漢族
- 小島麗逸「中国−漢民族による新疆の経済支配」広瀬崇子編『イスラーム諸国の民主化と民族問題』、未来社、1998年。
- 薜宗正『漢族』(中国新疆民族民俗知識叢書)、新疆美術撮影出版社、1996年。
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